Top >  竹内 まりや の概要

竹内 まりや の概要一覧

竹内 まりや の概要

竹内 まりや の概要

出雲大社近くの老舗旅館「竹野屋」主人でもある竹内・大社町元町長の娘として生まれる。

島根県立大社高等学校在学中に、アメリカ・イリノイ州に1年間留学。
慶應義塾大学文学部に進学(将来的には通訳をやりたかったそうだ)。
1978年、シングル『戻っておいで・私の時間』、アルバム『BEGINNING』でデビュー。
英文科に進んだが、音楽活動の両立ができなくなり中退。

1979年のシングル『SEPTEMBER』、
1980年のシングル『不思議なピーチパイ』などがヒットする。
デビュー当初は、松本隆などが提供するアイドルソング的な歌を歌わされていたが、
これに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになった。

この頃アレンジャーとして彼女の前に登場したのが、
後に公私共に良きパートナーとなる山下達郎である
1981年、アイドル的な活動を要求されることと自身の希望する活動とのギャップから
一時休業を宣言、その後1982年に山下達郎と結婚。
同時に専業作詞作曲家として活動を開始し、
河合奈保子の『けんかをやめて』などのヒットを放つ。

1984年にシングル『もう一度』、アルバム『VARIETY』をリリース。
当時は歌手としては既に忘れられた存在でありながら
最終的には30万枚以上の大ヒットになった。

その後は育児との両立が難しいこともあり、ライブ活動からは退いたものの、
アレンジャー・プロデューサーを務める夫のサポートを受けながら、
シンガーソングライターとして活動を続け、3年間のロングセールスを記録した
アルバム『REQUEST』(1987年)や、シングル『駅』(1987年)、
シングル『シングル・アゲイン』(1989年)、シングル『告白』(1990年)、
シングル『家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』(1992年)などのヒット作をリリース。
1992年にはアルバム『QUIET LIFE』が発売と同時にミリオン・セラーとなり、
1994年のベストアルバム『IMPRESSIONS』は売上300万枚を超える大ヒットを記録。

作詞・作曲家としては薬師丸ひろ子の『元気を出して』、
広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』(1997年)など、多くのヒット作を生んだ。

2000年7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京・大阪で行う。
その後もアルバム『BON APPETIT!』(2001年)、
カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリース。
2004年には夫のシングル『忘れないで』の作詞を担当など、
マイペースながらも着実に活動を続けている。
子育てや夫・達郎の作品制作が一段落したことから
2006年からリリースを積極的に行うようになり、
2007年には6年ぶりにオリジナルアルバム『Denim』を発表。
『Denim』はオリコンチャート1位入りを果たし、
現在でも根強い人気を保っていることを証明した。

2006年8月27日放送の山下達郎のJACCS CARDサンデーソングブックによると、
携帯電話の電話帳機能をうまく使いこなせないため、
手持ちのアドレス帳を見ながら携帯電話から電話をかけているらしい。
しかし、夫である山下達郎から「~のレストランを予約した」等と
メールを受け取った際は返信することはできるらしい。